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仙台地方裁判所 昭和50年(ワ)50号 判決

原告 片平はしめ

同 井山由美子

右両名訴訟代理人弁護士 菅野敏之

同 菅野美穂

被告 石附壮三

右訴訟代理人弁護士 小野由可理

同 勅使河原安夫

主文

被告は、原告片平はしめに対し金七六二万二、八〇二円及び内金六一四万九、四四〇円に対する昭和四八年一月二二日以降、内金一四七万三、三六二円に対する昭和五一年一月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員、原告井山由美子に対し金七四二万〇、三一五円及び内金二七二万四、八八一円に対する昭和四八年一月二二日以降、内金四六九万五、四三四円に対する昭和五一年一月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、これを五分し、その三を原告らの、その余を被告の各負担とする。

この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告らの請求の趣旨

1  被告は、原告片平はしめに対し金一、六一五万六、〇〇〇円及び内金一、二二八万二、六一五円に対する昭和四八年一月二二日から、内金三八七万三、三八五円に対する昭和五一年一月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員、原告井山由美子に対し金一、七八九万七、〇〇〇円及び内金一、二五四万一、五六三円に対する昭和四八年一月二二日から、内金五三五万五、四三七円に対する昭和五一年一月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

二  被告の答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

《以下事実省略》

理由

第一  本件事故発生

原告ら主張の請求原因(一)項の事実(交通事故の発生)並に本件交通事故により片平正人が原告ら主張のような傷害をうけたことは当事者間に争いがない。

第二  しかして、被告が被告車の保有者であって、その運行供用者であることは当事者間に争いがないから、被告は自賠法三条但書の免責事由を証明しない限り、その損害賠償の責任を免れないものであるところ、被告は本件事故は正人の過失により発生したものであって、被告には過失がない旨主張するので、本件事故発生の状況並に原因等について検討するに、

1  本件事故現場の状況

《証拠省略》を総合すると、本件事故の発生現場は、東北大学医学部附属病院方面から市電八幡町終点方面に通ずる国道四八号線道路上であり、同道路と八幡二丁目(石切町)方面に向かう市道及び宮一女の北側裏門に通ずる市道とが喰い違って交差する変型十字路交差点であること、本件事故当時右交差点に信号機は設置されておらず、横断歩道の標示はなかったこと、右国道は幅員約二〇メートルで歩道と車道とに分離されており、車道部分の幅員は一四・八〇メートルで中央部分に幅員四メートルの市電軌道敷が存在するアスファルト舗装の直線かつ平坦な道路であること、本件事故当時右道路面は乾燥していたこと、右交差点手前の市電軌道敷左側には長さ一二メートル、幅〇・八〇メートルの市電八幡一丁目停留所の安全地帯があり、同安全地帯の東端には高さ一・二メートル、幅〇・六メートルのコンクリート製防護壁があり、その上に高さ一・一メートル、幅〇・四メートルの広告燈が設けられていること、右安全地帯の南端から南側歩道北縁までの距離は四・三〇メートルであること、右国道と交差する宮一女北側裏門に通ずる市道の幅員は五・六四メートル、八幡二丁目方面に向かう市道の幅員は七・三〇メートルでいずれもアスファルトで舗装された平坦な道路であること、本件交差点付近は商店街であり、かつ前記市電の停留所及び近くにバスの停留所等もあり、右国道の歩道橋は同交差点から西方へ約九〇メートルも離れているため本件交差点を横断する歩行者も相当数にのぼること、右国道の本件事故現場付近の制限速度は時速四〇キロメートルであること、本件交差点には本件事故後まもなく昭和四八年二月一日に横断歩道及び信号機の設置がなされたこと、以上の事実を認めることができ右認定を左右するに足る証拠はない。

2  本件事故発生に至るまでの被告の運転状況

《証拠省略》によれば、被告は、本件事故当時宮城県宮城郡宮城町上愛子に居住し、勤務先である仙台市北四番丁所在の東北大学附属病院まで被告車を運転し、本件事故現場を通って通勤していたこと、本件事故当日は午後六時過ぎ頃帰宅のため右附属病院を出発し、右自動車を運転して国道四八号線を西進したこと、その時は既に暗く同道路を進行する車は前照燈を点じており、被告車も前照燈を点じたこと、同道路を西進する車の数は多く連続走行の状態であったが、軌道敷上は比較的空いていたこと、被告は本件事故現場の東方約三〇〇メートルの地点から軌道敷上を走行し、左側を連続走行している車を追い抜く形で進行したこと、以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、被告車の走行速度について、被告は時速三五ないし四〇キロメートルで走行していたと主張し、被告本人の尋問においても同様の供述をなし、また《証拠省略》によれば刑事事件における取調の際にも被告は概ね同様の供述をしていたこと、《証拠省略》によれば本件事故の目撃者の一人が被告車の速度は「ブレーキの感じからして三、四〇キロで進んで来たと思います」と供述していることが認められる。しかしながら、《証拠省略》によると被告車のスリップ痕の長さが左右とも一二・五メートル印象されていたこと及び被告も認めている衝突時に被害者正人の身体が受けた衝撃の強さからすると、被告車の走行速度は、時速四〇キロメートルを優に越えていたものと認めざるを得ず、被告の右主張に沿う右各証拠は措信できない。もっとも右証拠によると、被告はスリップ痕の長さ自体についてもこれを争っているものであるが、《証拠省略》によって、右スリップ痕の長さは《証拠省略》記載の通り左右とも一二・五メートルであったことを認めるに十分である。したがって、スリップ痕の長さが右より短かいとの前提に立ってなす被告の右主張が失当であることは明らかである。

《証拠省略》を総合すると、被告は、右速度で軌道敷上を西進し本件交差点に差しかかろうとしたのであるが、その際左側車道の斜め前方を大型車が西進しており、前記市電八幡一丁目停留所の安全地帯の東方約一一メートルの地点で同大型車の後部に被告車の前部が追いつく形になったこと、右大型車は進路を少し左に変えるとともに速度を減じたこと、被告は大型車が減速したのを認めながら、自車を前記速度のまま大型車を追い上げる形で進行していたところ、前方の右安全地帯の西端付近を横断中の正人を発見し、危険を感じて急ブレーキを踏んだが間にあわず、軌道敷内において同人に衝突したものであること、以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

被告が横断中の正人を発見した地点については、前掲甲第二三号証には右安全地帯の東端から東方へ七・九メートルの地点との記載があるが、右書証の右記載は《証拠省略》に照して措信し難く、一方《証拠省略》には安全地帯の東端付近であるとの記載があるが、右地点もスリップ痕の位置、長さに照してにわかに措信し難く、結局この点を確定し得る証拠はない。もっとも前記認定の事実から、安全地帯の東端付近から東方へ数メートルまでの範囲内のいずれかの地点であることは容易に推認できる。

3  正人の行動

《証拠省略》を総合すると、正人は、当時宮一女の校長であり、本件事故当日は午後三時過ぎ頃から同校内で開かれた職員会議に出席した後、同六時過ぎ頃帰宅のため同校裏門を出て前記市道を北進して本件交差点に向かったこと、同交差点では大学病院方面から市電八幡町終点方面へ西進する車が連続走行していたため国道四八号線の前記市電の安全地帯南側の歩道で一旦立止まり車の途切れるのを待っていたところ、大学病院方面から西進して来た大型車が横断しようとしている正人の姿を認めスピードを減じて停止したこと、そこで正人は右大型車の前をやや急ぎ足で横断を始めたこと、大型車の前を通り過ぎ軌道敷内に入るにあたって、右側すなわち軌道敷上を大学病院方面から西進して来る車の有無の確認をせずに二歩位軌道敷内に入ったところ被告車と衝突するに至ったものであること、以上の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》また《証拠省略》中には、被告は正人が走って横断していた旨及び前記大型車は減速はしたが停止しなかった旨の供述記載並に供述があるけれども、この点に関する右供述記載並に供述は前掲各証拠に照らし措信し難く、他に前記認定の事実を覆すに足りる証拠はない。

4  以上認定のように、被告は制限速度時速四〇キロメートルを超過した速度で被告車を運転し、かつ自車左斜前方を先行中の大型車によって本件交差点左方の見通しが妨げられており、右大型車が交差点手前で減速のうえ停止したにもかかわらず、右交差点を従前の速度のまま走り抜けようとした過失により後記正人の過失と相まって本件事故を惹起したものと認められ、一方右正人は車両の交通量の多い国道上の本件交差点を横断するに当り、歩道寄りの大型車が停止してくれたので、他の車両も停止してくれるものと軽信し、軌道敷上を走行してくる車両の動静を十分に確かめないで不用意に横断しようとした過失により本件事故に遭ったものと認められる。

5  したがって、本件事故の発生について被告に過失が存しないものということはできないから、その無過失を前提とする被告の免責の主張は理由がないものといわなければならない。

第三  正人の傷病の状況並びに死亡

原告主張の請求原因(二)項の1及び2の事実(正人の傷害の程度とその後の経過)中、正人の死亡と本件事故との間に因果関係があるか否かの点を除くその余の事実はいずれも当事者間に争いがなく、右争いない事実と《証拠省略》を総合すると、次のような事実を認めることができる。

1  正人は、大正二年七月一日生れの健康な男子であったが、本件事故により頸椎損傷、前頭骨骨折、右腓骨骨折、頭顔部、左手背挫創、右眼部挫傷皮下出血、項部、背部、腰臀部、両肩部、両下腿挫傷の重傷を負い、即日渋谷外科病院に入院して緊急治療を受け、昭和四八年一月二九日東北労災病院に転院して入院治療を続けたが頸椎損傷のため両上、下肢は運動障害を来して全く用をなさず、しかも両上、下肢には筋不髄意運動拘縮、しびれ等の疼痛を伴い、さらに慢性膀胱、直腸傷害による排泄障害をも合併し、日常生活の全般について他人の介助を必要とする状態であった。

2  右症状はその後も改善されないまま同年九月末頃固定したため、翌四九年五月一四日身体障害者用の住居の完成をまって同病院を退院し、その後は自宅でマッサージ、他動運動等の療養を続けたが、同人の前記症状は依然変らず二四時間の付添看護を必要とし、殊にベッドから車椅子への移動、入浴、排便等については付添人一名の介助では不可能な状態であった。

3  而して、本件事故時から暫くの期間は残っていた同人の体力も、右の様な闘病生活の中で次第に衰退して行き、昭和五〇年一一月頃から一般状態は悪化し始め同月半ばに再び入院治療を受けるに至ったが回復できず、同年一二月三日頸椎損傷に起因する急性腎不全によって死亡するに至った。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

してみると、正人の死亡と本件事故との間には因果関係の存することを認めることができるから、被告は正人の死亡により同人及び原告らが蒙った損害についても賠償する義務があるものといわなければならない。

第四  損害

一  まず、正人の蒙った損害について判断する。

(一)  入院諸雑費

正人が本件受傷のため本件事故の日である昭和四八年一月二二日から同四九年五月一四日まで入院生活を続けたことは前に認定したとおりである。そして、本件事故による同人の前記傷病の程度と治療の状況に弁論の全趣旨を併せ考えると、同人がいわゆる入院諸雑費として一日あたり平均して三〇〇円を下らない費用の支出を免れず、右金額に右入院期間四七八日を乗じた計金一四万三、四〇〇円の損害を蒙ったことが推認される。

(二)  付添看護費用

正人の本件事故による傷病の状況、同人が二四時間の付添看護を必要とし、日常生活のすべてをその介助に待たなければならなかったこと、そのような状態は同人が本件事故に遭った日から死亡の日まで継続したことは既に認定したとおりである。そして、《証拠省略》によれば、正人は、東北労災病院退院間際の昭和四九年五月一二日から死亡の日の前日である昭和五〇年一二月二日まで継続してほぼ一名の付添婦と、その外に臨時の付添婦を依頼し、それらに対し合計一一九万二、七二〇円の支払いをしたことが認められる(原告らの主張する金額の内訴外京極暁子に対する昭和五〇年一二月分の金三万円の支払いについては、正人の死亡したのが同月三日であること、甲第六〇号証の六には但として一二月分入院及び葬儀手伝いと記載されていることからして、右書証によって直ちに右三万円の支払いが付添看護料としてのものであると認定することは困難であり、他に右の三万円が付添看護料であることを認めるに足る証拠はない。)。

さらに、《証拠省略》によれば、訴外正人が東北労災病院入院中の付添看護人については、被告においてその費用を支払いその金額は合計一一〇万円であったことが認められ、そうすると、本件事故により訴外正人が蒙った付添看護料としての損害は合計二二九万二、七二〇円と認められる。

(三)  マッサージ・他動運動等費用

既に認定した正人の傷病の程度及び治療の状況と、《証拠省略》を総合すると、正人は、両上、下肢の麻痺、しびれが疼痛を伴うので、右苦痛の緩和並に病状の悪化を防ぐため、昭和四九年五月一四日に東北労災病院退院後は自宅でマッサージと他動運動を続けなければならなかったこと、そのための費用として原告主張の合計四二万八、三〇〇円の支出を余儀なくされたことが認められ、これに反する証拠はない。

(四)  特別設備費用

正人の本件事故による傷病の程度と治療の経過は先に認定したとおりであるが右事実と《証拠省略》を総合すると、正人は、本件事故以前宮城県泉市黒松に家屋を所有し居住していたが、本件事故の受傷による身体障害のため一般家屋に居住することは不可能となり、東北労災病院の医師の助言に従って、同病院を退院するに先立って、原告はしめの肩書住所地に身体障害者用の家屋を新築したこと、右新築家屋に身体障害者用特別設備として、入浴用ウインチ装置一式、車椅子通路、手摺等、車椅子、障害者用洗面器、起立補助器、牽引一式、マットレス等、診療台、赤外線灯、加湿器を各取付け、右器具代及びその取付け代として合計九一万九、四四〇円の出費を、また右新築家屋は車椅子患者が生活できるための特別の設計、材料、工事を必要としたため、一般家屋と比べその分の差額として合計一五〇万円の出費を、それぞれ余儀なくされたことが認められ、これに反する証拠はない。

もっとも、原告らは、右特別設備費用として右認定の各設備費の外に冷暖房設備の費用をも、本件事故による損害として請求するところ、前記認定の正人の傷病の状況に徴すると、右設備の必要性はこれを肯認できないことはないが、近来の一般新築家屋の設備状況及び右設備のもたらす恩恵が独り同人のためのもののみではないこと等の事情に鑑み、右設備費用をもって本件事故と相当因果関係のある損害とは認め難い。

従って、右冷暖房設備費を除いた右認定の合計金二四一万九、四四〇円について、本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

(五)  休業損害

1 《証拠省略》を総合すると次の事実が認められる。

(1) 正人は、本件事故当時宮一女の校長の職にあったが、本件事故による受傷のため、事故の翌日である昭和四八年一月二三日から退職するまでの期間休業を余儀なくされ、そのため昭和四八年一月二三日から同年四月二二日までは病気休暇ということになり、その間同年四月一日付で右高等学校長から宮城県教育委員会事務職員に転任させられて教育庁参事に補され、右同月二三日には休職を命ぜられ、翌四九年三月三一日に教育庁参事に復職して翌四月一日に退職したこと、

(2) 正人に本件事故による休業がなく、またそのための右転任がなかったとすれば、同人が得ることができたであろう俸給及び諸手当は次のとおりでありその総額は三九六万二、七八四円となること、

(イ) 昭和四八年四月一日から同四九年三月三一日までの推定給与額(給料及び特別措置条例五条一項の給料表に掲げる給料月額に加える額) 合計二四九万五、四〇〇円

(ロ) 右同期間における推定扶養手当支給額 合計四万六、八〇〇円

(ハ) 昭和四八年二月一日から同四九年三月三一日までの推定管理職手当支給額 合計三四万二、六四八円

(ニ) 昭和四八年六月一五日、同年一二月五日及び同四九年三月一五日に各支給を受けうべき期末手当額 合計七五万八、四二〇円

(ホ) 昭和四八年六月一五日と同年一二月五日に支給を受けうべき勤勉手当額 合計二五万〇、四六六円

(ヘ) 昭和四八年八月一日に支給を受けうべき寒冷地手当額 合計六万九、〇五〇円

(3) しかるに右各期間において、正人が現実に支給を受けた給与額は合計一九七万二、五六〇円、扶養手当額は合計三万七、一二〇円、管理職手当額は零円、期末手当額は合計五六万六、〇三二円、勤勉手当額は零円、寒冷地手当額は五万五、〇二〇円であり、その総合計額は二六三万〇、七三二円であること、したがって前項の推定俸給及び諸手当総額との差額は金一三三万二、〇五二円となること、

(4) 正人に本件事故による休業がなく、またそのための右転任がなかったとすれば、同人が得ることができたであろう退職手当額は一、七八一万〇、四九六円となるのに対し、同人が現実に支給を受けた退職手当合計額は一、六九九万三、一五二円であること、したがってその差額は金八一万七、三四四円となること、

(5) 正人に本件事故による休業がなく、またそのための右転任がなかったとすれば、同人が得ることができたであろう退職年金額は、昭和四九年五月から同年八月までの分は一五一万七、二三三円の一二分の四、同年九月から先に認定した昭和五〇年一二月三日の死亡時までの分は一六〇万三、五一五円の一二分の一六となるのに対し、同人が現実に支給を受けた年金額は、昭和四九年五月から同年八月までの合計額は一四九万三、三七九円の一二分の四、同年九月から右死亡時までの合計額は一五四万七、八七三円の一二分の一六であること、したがって得べかりし右年金額との差額は合計金八万二、一四三円となること、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

そうすると、正人が本件事故による休業により失った右の各得べかりし利益の合計額は二二三万一、五三九円と認められる。

(六)  死亡による退職年金相当の逸失利益

正人が昭和五〇年一二月三日死亡したこと、右死亡と本件事故との間には因果関係の認められること、同人は死亡以前金一五四万七、八七三円の退職年金を受給していたが、本件受傷による休業がなければ右金額は一六〇万三、五一五円となるものであったことは、いずれも先に認定したとおりである。

ところで、退職年金は、本人及びその者の収入に依存する家族に対する損失補償ないし生活保障を目的とする給付であり、受給者の稼働能力と無関係に支給されるものではあるが、生活保護法による扶助とは異なり、在職中一旦給与として支給された中からその掛金を徴収されて積立てるものであり、しかも本人の退職後の経済状態に関係なく支給されるものであるから、給与の後払い的性格をも否定できず労働の対価としての一面を認めざるを得ないところであるから、他人の不法行為によって右退職年金の受給権を消滅させられるに至った被害者は、加害者に対し、得べかりし利益の喪失として将来支給を受け得たであろう年金額を損害として請求することができ、また右請求権は相続の対象となりうるものと解するのが相当である。そして、退職年金収入は被害者の稼働可能期間に関係なく生存している限り継続して支給されるものであるから、その算定にあたっては、余命期間を基準として算定するのが相当であり、また本人の生活費を控除するのが相当である。

そして、原告片平はしめが同人の妻であり、原告井山由美子が同人の子であることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、正人の家族は右の外同人の母片平たけをを合わせた四人であったところ、たけをは正人の存命中の昭和五〇年六月二三日に死亡し、娘の由美子は正人の死後昭和五一年五月に他に嫁がしたことが認められるから、これらの身分関係を基にして同人の生活費としては収入の五〇パーセントを控除することにし、また既に認定した事実から同人は死亡時六二才であったことが認められ、厚生省昭和四八年簡易生命表によると同人の平均余命は一五・三二年であることが認められるから、余命を一五年として計算すると同人の得べかりし退職年金の死亡時における現価は次のとおり八八〇万三、九三九円となる。

1,603,515円×0.5×10.9808(ホフマン係数)=8,803,939円

(七)  稼働能力喪失による逸失利益

正人が、昭和四九年四月一日年令六〇才で退職したこと、本件事故による受傷とそれによる死亡のために退職後全く就労することができなかったことは既に認定したとおりである。

而して、《証拠省略》によれば、正人は旧制大学卒業者であることが認められ、かつ就労可能年数が六七才であることは裁判所に顕著な事実であるから、同人の右学歴に従って昭和四九年賃金センサスに基づいて年間給与額を六〇才から六四才までの五年間を三一八万三、四〇〇円、六五才から六七才までの三年間を二三八万七、六〇〇円とし、生活費として前記認定のとおり五〇パーセントを控除して、ホフマン方式によって同人が本件事故による稼働能力喪失により蒙った退職後の逸失利益を算出すると九二一万一、五七二円となる。

(八)  過失相殺

以上の(一)ないし(七)の損害額は合計金二、五五三万〇、九一〇円であるところ、本件事故の発生については前認定のように正人にも過失があったのであるから、その損害額を定めるにつきこれを斟酌するべく、その程度は、前認定の本件事故現場の状況、本件事故の態様および双方の過失の程度その他の事情を考慮してその損害額から二割を控除するのが相当であり、そうすると、右正人の被告に請求し得べき右損害賠償債権は金二、〇四二万四、七二八円となる。

(九)  慰藉料

《証拠省略》によれば、正人は、昭和一五年三月に東北帝国大学工学部を卒業し、海軍航空技術廠に入廠し第七航空教育隊に入隊して陸軍中尉まで進んだが、昭和二一年六月に復員し、以後宮城県公立学校教員となり志津川高等学校、登米高等学校を経て、角田女子高等学校長、石巻工業高等学校長、宮城県工業高等学校長を歴任し、昭和四四年から宮一女の校長に任命され、前認定のように本件事故の受傷による休業によってその任を解かれるまで、宮城県の教育界に貢献してきたものであること、傍ら機械工学の研究も続け、また趣味としての絵画、木工等にも長じていたものであることが認められる。

右の事実と、本件事故の原因、態様、受傷の部位程度、入院期間、後遺障害の程度の外正人が本件受傷後三年近くの闘病生活の末死亡するに至ったものであること並に双方の過失の程度その他本件にあらわれた一切の事情を総合勘案すると正人に対する慰藉料は金五〇〇万円とするのが相当である。

(一〇)  損害の填補

正人が本件事故につき、自賠責保険金五〇〇万円及び任意保険金八九〇万円の合計一、三九〇万円並びに地方公務員共済組合から傷病手当金合計一〇四万九、二五六円を受領したことは当事者間に争いがなく、前記(二)のとおり被告は付添看護費用として金一一〇万円を支払ったことが認められる。

ところで、原告らは、右のうち傷病手当金について、正人が共済組合掛金を支払ってきたことによるものであるとともに、その目的を異にするものであるから損益相殺の対象となるものではないと主張するが、地方公務員等共済組合法上の傷病手当金も、傷病者である組合員に対しその積極的及び消極的の財産上の損害を填補するものであることにおいて、民法上の不法行為における損害賠償と軌を一にするものであるうえ、地方公務員等共済組合法五〇条には組合は組合員に対し右手当金の給付をした場合、組合員が加害者に対して有する損害賠償請求権を取得する旨規定されていることからして、法は二重に損害の填補を得させることを容認していないものであることが明らかである。

しかして、正人の退職年金の喪失による損害は同人の死亡により発生するものであるから、これを除く正人の前記全損害に対して右保険金計一、三九〇万円と被告の弁済金一一〇万円の合計金一、五〇〇万円が、また慰藉料及び右退職年金の喪失による損害を除くその余の損害に対して右傷病手当金合計一〇四万九、二五六円が各填補されたことになる。

(一一)  原告両名の相続

前記のとおり原告片平はしめは、正人の妻であり、原告井山由美子は同人の子であるから、右に各認定した同人の被告に対する損害賠償請求権は、原告片平はしめ一、同井山由美子二の割合で相続されることになるから、その金額は原告片平はしめについて三一二万五、一五七円、同井山由美子について六二五万〇、三一五円となる。

(一二)  遺族年金の受給による控除

《証拠省略》によると、正人の死亡により昭和五一年一月から同人に対して支給されていた一五四万七、八三七円の退職年金の一〇〇分の五〇に当る金額が遺族年金として原告片平はしめに対して支給されていることが認められる。

而して、遺族年金は、退職年金受給権者の死亡を契機として、その遺族に対する損失補償ないし生活補償のために給付されるものであるから、退職年金とその目的を一にするものであり、しかも両者は法律上同時に併存することができない関係にある。したがって、死亡した者からその得べかりし退職年金相当の損害賠償債権を相続した遺族が、遺族年金の支給を受ける権利を取得したときは、同人の加害者に対する損害賠償債権額の算定にあたっては、相続した退職年金相当の損害賠償債権額から右遺族年金相当額を控除する必要があるものと解すべきであり、また右控除は、あくまで法律上右給付の利益を享受することが保障されている受給権者の退職年金相当の損害賠償債権額からだけすべきであり、受給権者でない遺族の損害賠償債権額からは、控除できないものと解すべきである(最高裁昭和五〇年一月二四日第二小法廷判決、民集二九巻九号一三八二頁参照)。そして、地方公務員共済組合法五〇条は、厚生年金保険法四〇条及び労働者災害補償保険法一二条の四と同趣旨の規定とみられるから、たとえ将来にわたり継続して遺族年金の給付されることが確定していても将来の給付額は損害賠償債権額から控除すべきでなく、右控除を要する遺族年金相当額は受給権者において現実に給付を受けた金額のみと解するのが相当である(最高裁昭和五二年五月二七日第三小法廷判決、民集三一巻三号四二七頁参照)。本件において、地方公務員等共済組合法四五条一項、二条一項三号によると、遺族年金の受給権者は原告片平はしめのみとなるから、前記退職年金相当の損害金のうち同原告が相続した分金二三四万七、七一七円(前記退職年金相当の損害額八八〇万三、九三九円から過失相殺分二割を控除した額につき同原告が相続した三分の一の金額)から、同原告が現に支給を受けた昭和五一年一月から昭和五二年九月(口頭弁論終結時)までの遺族年金の合計額一三五万四、三五五円を控除すると、同原告が取得する正人の退職年金相当の損害賠償債権の相続分は九九万三、三六二円となる。

してみると、結局、原告はしめが正人の損害賠償請求権を相続した分として被告に請求しうる金額は、前記三一二万五、一五七円から右一三五万四、三五五円を控除した金一七七万〇、八〇二円となる。

二  次に、原告らに固有に生じた損害について判断する。

(一)  原告片平はしめの付添費用の損害

正人の本件事故による受傷の程度と死亡に至るまでの傷病の状況、その間の付添婦の付添看護の状況は既に認定したとおりである。而して、《証拠省略》を総合すると、本件事故直後同人が渋谷外科病院入院中及び東北労災病院へ転院して暫くの間は、夜間のみ職業的付添婦がつき、昼間は原告片平はしめ及びその身内の者で付添看護にあたったこと、その後被告において昼夜の付添婦をつけるに至ったが、原告片平はしめにおいても同人の入院中はほぼ常時付添っていたこと、同人の退院後は昼間は付添婦を依頼した(但し、昭和五〇年一一月一八日から同年一二月二日までは夜間付添を依頼した。)が、夜間は原告片平はしめにおいて付添い、さらに同原告は昼間も付添ったこと、夜間の付添においては二、三時間おきに起きて同人の面倒を看ざるを得ず、満足に睡眠をとることもできない状態であったこと、そのため同原告は高血圧症状を来たし、正人の死後昭和五一年七月一六日より同五二年一月一五日まで入院せざるをえない状態に至ったことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

以上の事実からすれば、正人には本件事故による受傷の日からその死亡の日まで客観的に二人以上の付添看護を必要としたものということができ、しかも原告片平はしめは右の期間中間断なく同人の付添看護にあたっていたことが認められるから、同原告はその間付添看護費用相当額の損害の賠償を求めうるものと認められ、右金額は一日二〇〇〇円の割合による計金二〇九万〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。

(二)  原告片平はしめの葬儀費用の損害

《証拠省略》によれば、原告片平はしめが昭和五〇年一二月八日に正人の葬儀を行ったこと、右葬儀の日に合わせて同人の四九日と一〇〇か日の法事も行ったこと、それらの費用として、御布施、法名料、火葬、納骨費用として合計三六万四、〇〇〇円霊柩費用等として二四万四、一〇〇円、寝台車料金として七、七六〇円、死亡広告費用として九万円、弔問客に対する饗応接待費及び手伝いの人たちへの食事費用として三六万六、六〇三円の各支出をしたことが認められるが、先に認定した正人の社会的地位及び年令並びに該地方の慣習等に鑑み右支出した葬儀費用のうち金六〇万円は本件事故と相当因果関係のある出費と認められる。

(三)  過失相殺

前記一の(八)のとおり本件については原告に生じた損害から二割を過失相殺するのが相当と認められ、右(一)、(二)の合計金二六九万円からこれを控除すると金二一五万二、〇〇〇円となる。

(四)  原告らの慰藉料

正人と原告らの身分関係、本件事故の内容、態様、正人の受傷の部位程度並に病状の経過及び原告片平はしめの看護の状況、双方の過失の程度その他本件にあらわれた一切の事情を勘案すると、原告片平はしめに対する慰藉料は金三〇〇万円、同井山由美子に対するそれは金五〇万円とするのが相当である。

(五)  原告らの弁護士費用

本件事案の内容、請求額、認容額、その他一切の事情を考慮すると、原告らが本件訴訟追行に要する弁護士費用として被告に請求し得る額は原告はしめにつき七〇万円、同由美子につき六七万円とするのが相当である。

第五  以上の次第で、原告らの本訴請求は、被告に対し、原告片平はしめにおいて合計金七六二万二、八〇二円及びそのうち葬儀費用として請求しうる四八万円及び退職年金喪失の損害金として請求しうる九九万三、三六二円を除く金六一四万九、四四〇円に対する昭和四八年一月二二日以降、右葬儀費用及び退職年金喪失分合計一四七万三、三六二円に対する昭和五一年一月一日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金、原告井山由美子において合計金七四二万〇、三一五円及びそのうち退職年金喪失の損害金として請求し得る金四六九万五、四三四円を除く金二七二万四、八八一円に対する昭和四八年一月二二日以降、右退職年金喪失分四六九万五、四三四円に対する昭和五一年一月一日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤和男 裁判官 後藤一男 竹花俊徳)

〈以下省略〉

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